グラニーさんとは、私の母のことです。
彼女はパーキンソン病という難病を患って2020年で12年になります。
先日の幼稚園座談会で、私の書いた母のブログを読まれた方とお会いしました。
嬉しかった。
母は医療従事者でした。
はっきりと、子育てよりも仕事が大好きな女性でした。
認知症と診断された今もなお、彼女は医学論文を発表する気満々、かつ、看護学生を育てる気満々でいます。
私はダブルケアの経験者です。
子育てと介護は似ています。
介護は、ダブルケアは、その人によってそれぞれ違う経験をします。
その違いさえも育児と似ています。
私とあなたの経験は違う。
だけれども
経験する中で揺れ動く気持ちは、私とあなたはどこか似ている。
子育てと介護。
分からないこと、悩ましく悔しい部分、解けない問題に立ち向かって行く様は、まさに人生そのもの。
もしも誰かの参考になるならば、私は母のブログを書いてみよう。
「老いる」とは何ぞや。
ボケてもなお母はまだ、四十路の私を育ててくれています。
最期まで母は私の母です。
「死ぬまで生きてね」
コロナ禍でようやく面会できた母に、私はそう声をかけました。
「パーキンソン病は治りません」と言ってくれた医師に出会えてようやく、私は母と、難病と、向き合うことができました。
母は治らない。
誰を恨めばよいの?
誰に怒ればよいの?
パーキンソンさん?いえいえ、きっとそれは病気を最初に発見された方のお名前ですよね⁈
さてと。
『グラニーさんのお話』はじまりはじまり〜
2020年
グラニーさんが介護付き有料老人ホームに入所して5年目。
グラニーさんは退所を要請されました。
コロナ禍が起こる以前から要請はされていましたが、コロナでソレどころじゃなくなり保留となっていた案件。
ついに先日、グラニーさんは老人ホームから療養型病院へとお引越しをすることになりました。
そもそも、老人ホーム探しを助けてくれた介護施設紹介所とやらの方が、5年前に仰っていました。
老人ホームは、入所5年くらいで寿命を迎えるか、退所させられるような仕組みです、と。
ひっどーい仕組み!
何て社会!
私は当時、それを他人事のように聞いていました。
だってグラニーさんはまだ72歳という若さで老人ホームに入り、そこが終の住処になるのだと信じて疑わなかったから。
でも、2020年、グラニーさんは老人ホームを出なければなりません。
優しくない仕組み
ニッポンで老いるって何て大変なの
負けるなグラニーさん
2020年9月24日ふみっ記