先日、私の親友の恋人が逝去されました。

(コロナではありません)

外出自粛なのもあり、3歳と5歳を抱えていることもあり、私は親友のために何も行動できません。

 

「電話できない 駆けつけてあげられない ごめんね」
そうLINEして、大雨の東京の空の写真を送りました。

 

彼女の人生には割と大事が起こります。
でもその度に、私は何もしてあげられません。いつもLINEとか電話だけ。

 

子どもの頃は毎日会えたのに。

嫁ぐと遠くなるものです親友って。

 

大事が起こると、私は彼女のお腹が心配になります。
「夕飯食べてね 明日からもモリモリ食べてね」
食べて生きて、また彼女と会いたいのです。

 

 

息子が5歳になって、私は「人は死ぬ」と教えてみています。

 

私は初めての子供である息子を、どこか観察するように育てていて、大切だから慎重に、でも時々我が子だからと育児の実験をしてみることがあります。

 

 

0歳から1歳までは「赤ちゃんへの声かけ」が分からず、ダブルケアの心労もあり、割と無言で育てていました。

でもそれじゃあいかん、とは分かっていたので、支援センターの先生や優しい話し方をする先輩ママのモノマネをして何とか乗り切っていました。

 

何事も先生というのは身近にいらしゃるものですね。
モノマネでも何とかなりました。

笑顔も作り笑いで何とかなりました。
赤ちゃんってママに優しいですね。
助産師mikan先生も笑顔について書いていらっしゃいます

 

 

そして、2歳のイヤイヤ期。
息子は『シン・ゴジラ』になりました。
ちょうど下の子の妊娠と重なり大変でした。
息子が道路で大の字になって泣いていたら、パトカーが通りかかりました。
天の助けと期待したら、パトカーは去り、一旦避けた大の字を再び道路に戻したことがあります。
ある日は、降園15分の道のりに1時間半かかりました。それなのに、夫は労ってもくれず、辛い一日でした。

 

ある夜、寝かしつけの後に缶ビールで映画『シン・ゴジラ』を観ていたら、吹きそうになりました。庵野監督のゴジラは息子そのもの。それからはイヤイヤ期と向き合えるようになりました。大変さは変わりませんでしたが。

 

ちなみに娘のイヤイヤ期は映画『ヴェノム』です。
もしかしたら、イヤイヤ期は何か似ている物を見つけると、ちょっとママの心が整理できるのかもしれません。

 

 

3歳までは「叱り方」が分かりませんでした。
体と心を傷つけそうな時だけ叱る、と決めて、それ以外はほとんど叱ったことがありません。
確か、カヨ子ばあちゃんの育児本に、なような一説があったと記憶しています。※立ち読みです。

 

そもそも「叱る」と「怒る」の線引きが難しいです。
夫にイライラして子どもにあたることが多かった私は、怒ってばかりでした。
だから、こういう場合に「叱る」と一つ一つ心にメモをしていました。
叱りそこねて他人様にご迷惑をおかけして猛省し、恥ずかしさから自分を責めて落ち込んだり。

 

息子は、お友達を噛む、叩く、掴む、引っ張る、押す、が なかなか直りませんでした。
結局、園の先生に躾をしていただきました。
保護者面談で、
先生「噛むのを止めさせてください」
ママ「はい。申し訳ありません」
先生「お家でも噛みますか?」
ママ「えーっと…夜、寝かしつけのプロレスで」
先生「プロレス??」
ママ「パパとだけですが、じゃれて噛むことが時々…」
先生「それを止めるようにしてください」
ママ「はい。申し訳ありません」
パパ「甘噛みです」
先生「え?」
パパ「でも甘噛みなんです!!」
先生「(苦笑い)」
こんなパパでしたので、夜な夜な二人で「叱る」を復習していました。

 

 

4歳になり、息子は急にヒトになりました。
喋る、お友達と遊ぶ、私の視界に居る、突然の成長に驚くと同時に、あ〜じっくり待ってあげて良かった〜と安堵しました。
この子にはこの子のペースがあったんだ、と。
そこからは、ピッカピカの「自我」が丸見えでした。
“はなかっぱ”みたいに息子の頭から「自我」がニョキニョキと生えました。
私は息子の芽に水をやり始めました。

 

 

最初に教えたのは「痛い」です。※3歳の初めです。
どこが痛いのか、どんな風に痛いか、チクチク、ズキズキ、ドーン。
痛みの強さ、痛みの種類を息子に表現できる言い方に合わせて教えました。

 

その次は「そ〜っと」だったかな。
そ〜っと歩く、そ〜っと触る、そ〜っと動く、そ〜っと話す。
何事にも全力フル回転だった息子に、抑制することを教えたつもりです。
くに先生のヨーガが役に立ちました。

 

後は、ちょっと記録していないので順不同になりますが、私が教えていて楽しかったのは「考える」でした。

 

何かにつけ「自分で考えたの?」「よ〜く考えてね」「じゃあ考えてみようか」とか、やたらめったら会話に「考える」をねじ込んでいました。
不自然な会話なんですが、息子には単語を連発すると意味に気づく習性があるので、とにかく連発して息子の口から「考えたよ」が出てきたらゴールとしていました。

 

挨拶や色、形、数、時計、アンパンマンなどは園が教育して下さるので、私は私が選んだ言葉を半ば実験的に教えています。
「失敗」「反省する」「悔しい」「残念」「不可逆」「夢」「冒険」「工夫する」「挑戦する」「アイ〜ン」「だっふんだ」etc.

 

SOV型の文章で話せるようになってからは、「間違えてもいい」「失敗は成功のもと」だったり「(相手)はどんな気持ちだと思う?」「こんな時はどうしようか?」と、どこかの育児書にありそうな声かけができるようになりました。

 

 

そして、ようやくタイトルの話になります。
「ママは死なない」。

これは先ず「人は死ぬ」からスタートしています。

 

尾木ママが学校では「人が死ぬ」って教えないのよねん。とお昼のワイドショーで言っていて、そうか!と思ったので早速やってみました。

 

「人は死ぬ」を教えた最初の夜。息子は怖くて眠れなくなりました。
いささか乱暴だったようです。可哀相に、我が子よ。

「怖い」という息子の感情を肯定し、受け止めてやりました。

 

しかし今度は「ママが死ぬのが嫌だ」と泣き出してしまったので、こりゃいかんと焦って咄嗟に「ママは死なないよ」と言ってしまいました。

 

「ママは、死なないよ」
そう言ったら、息子はスヤスヤと眠りました。

 

私はママ5年生です。

 

先日、息子が初恋をしました。
ママチャリの後ろから「ママ、○○ちゃんにキスしたらどうかな」と息子が言いました。
私は急ブレーキをかけました。

 

私は息子に慣れる、ということがありません。
きっと永遠に息子には初心者マークのママなんだろうと、その時に悟りました。

 

 

 

2020年4月15日ふみっ記

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