2020年4月18日

認知症の母が教えてくれたこと

ようやく日本全国に緊急事態宣言が出されましたね。スタッフのfumiです。

 

私のコロナ生活は、娘の上に電子レンジが落下した以外は、取り立てて事件も無くごく普通です。

 

さて、今日もつれづれなるままに。
書きます!

 

 

第一子である息子が1歳1ヶ月の時、ようやく私のダブルケアが終わりました。
(私のダブルケア、以前の記事はこちらです

呼び寄せ介護の結果、実母は介護付き有料老人ホームへ入所しました。

 

乳児を連れてのホーム選びは、そりゃもう大変。当時は大変とは気づいていなかったので、よくやったと思います。

実は当時の記憶があまりなくて、、、廃人のような私を、ホームの見学へあちこち連れ出してくれた夫に、今更ながら感謝しています。

 

 

老人ホームを決めるのは、難しいです。

 

コロナのちょっと前、母は「入居者の足を踏む」「薬が飲み込めない」との理由で、ホームを追い出される寸前でした。
しかし、新しい病院の先生とコロナのおかげで、しれっとそのまま現ホームに留まることができています。

 

ダブルケアを脱しても、人生の課題は次から次へとやって来ます。
慌てず、怖れず、腐らず、に。
人生の勉強をさせてくれる母に感謝しようと思い至りました。

 

 

コロナで母に面会できなくなりました。
私は母の爪が伸びていないかが心配です。

 

 

母と私は(ざっくり言ってしまうと)馬が合いませんでした。
母と娘のよくある話、かな。
親子とはいえ、親子だからこそ、できてしまった亀裂はなかなか塞がりません。

 

脳の難病を患い、認知症も併発してしまった母は、私の亀裂相手ではありません。
病気で母が変わってしまった、という事実を受け入れるのに随分と時間はかかりましたが、今となっては私が母になり、母が私の娘になった、そう錯覚してしまえば済む気がします。

 

 

しかし、しかしです。
息子が生後数ヶ月の頃は、まったく違いました。
スイミーさんは「どん底」と表現されていましたが、私の場合は「地獄」でした。

 

ボケた母は危険な行動をとり、暴言も吐きました。
息子を踏みそうになったり、華道の鋏を手に息子の周囲をウロウロしたり。

ある日は、「あんたといたらバカになる」
だから保育園にさっさと入れろ、と言い出しました。

 

娘だからブチ切れます、傷つきます、怒りにワナワナ。

 

私の産後は、ろくな精神状態ではありませんでした。

 

 

私の母は三度の飯より仕事が大好き。
勤勉で人の話をよく聞き、思慮深く謙虚で真面目な努力家です。
母としては褒められませんが、職業人としては尊敬すべき女性でした。
(と、どうしても母のことを書くと過去形になってしまいます)

 

私の母と今の母とは別人です。
病気が彼女を変えてしまいました。

 

母と和解しないまま、私は母になりました。

 

認知症の母でも、私の母だから、彼女の言葉はどうしても娘の心に届きます。
面白い言葉があります。
「歴史上の人物を育てていると思え」です。

 

我が子をただの子供として見るのではなく、エジソンやベートーベン、野口英世や夏目漱石になり得る未来ある人物として接し、育て上げなさい。
私には彼女の言葉がそう聞こえました。

 

だから私は、

私の二人の子供が絵を描けばピカソとフリーダカーロ。
ピアノを弾けばモーツァルトとフジコヘミング。
歌って踊ればヒュー・ジャックマンと木の実ナナ。
と、未来の二人を楽しみに育てています。
(女性を例えるのが難しいです)

 

 

赤ちゃんと老人は似ているところがあります。
離乳食と介護食、排泄の世話、散歩のさせ方、衣類の着脱、などです。
当時は産まれたばかりの我が子より、一緒に暮らした時間が長い分、母の世話の方がはるかに上手でした。

 

母は鰹のタタキが好物ですが、息子は授乳が下手でした。

 

ダブルケアが地獄なのは、可愛い息子の世話が上手にできないからなんです。

 

タレントの青木さやかさんが、確執を抱えたお母様を看取られたという記事を読みました。

 

親というのは自らの死からも子に何かを教えてくれる存在なのだと思いました。

 

 

 

投稿者:fumi

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